|
後藤伸昭(ゴトウノブアキ)
1967年11月17日生まれ
北海道旭川出身
北照高等学校卒業
172cm 70kg |
■ |
1985年〜1992年の7年間
全日本ナショナルチーム |
■ |
1996年〜2002年の3期6年間認定
SAJナショナルデモンストレーター |
■ |
2008年4月イグザミナー初認定 現在3期目 |
■ |
全日本スキー連盟 教育部本部
技術強化委員会 副委員長 |
■ |
新潟県教育部強化コーチ |
■ |
中越スキー協議会 教育部長 |
5歳の頃からミニスキー(今はもうないと思う)で遊ぶようになり、小学4年の時に旭川ジュニアアルペンチームに入門しアルペンスキーを始める。その頃は遊びの感覚だった。
ところが、小学5年のシーズン開幕戦の大回転で、最終スタートから優勝するという信じがたい強烈なデビューをした。このときに初めて「勝つ喜び」を覚え、遊びだったスキーが勝つための練習へと変わっていった。
中学になると全国中学大会で大回転2位となり、これがきっかけで念願の全日本ナショナルチームジュニアチームに選ばれる。そして3年の夏に初の海外遠征合宿でニュージーランドに行き、そこで世界のトップスキーヤーの滑りを間近で見て、感動し、更に大きな目標を持つようになった。
高校は、沢山の名選手が育ったスキーの名門校「北照高等学校」に入学。毎日の朝・昼・晩の厳しい練習に耐え、1年生で北海道の大会を開幕から6連勝するという記録を作った。この頃から全日本の遠征メンバーに選ばれ1年間の半年を合宿や大会で世界を転戦するようになった。2年の時はインターハイ大回転で優勝。その年の世界ジュニア選手権でもSLで10位入賞と確実に成績を伸ばし、3年ではFISポイントを大幅にアップすることができ、着実に自分の目標に近づいていった。
高校卒業後は、アメリカに留学するか国内に残るか迷ったが、北海道の製紙会社に就職しスキー部に入る。海外での合宿や大会は高校の時よりも更に多くなった。
着々と2年目まで確実にランクアップしていたが、3年目にスランプになり、国体など国内の大会では優勝したが、大事なFIS大会での成績が伸びず、ポイントも大幅に下げてしまい、翌年ナショナルチームメンバーから外される。そして24歳で現役を引退した。
引退後は、十日町スキークラブのジュニア指導にあたるため、理論や指導方法を勉強していた頃、基礎スキーを知り、デモンストレーターを目指すようになった。そして、デモ選3回目の挑戦で念願のデモンストレーターに認定され3期6年間活躍する。そして2003年に引退。
現在は十日町スキークラブのジュニアの育成や新潟県強化コーチとして新潟県選手団の強化をしながら、一般のスキーヤーにもレベルアップとスキーを楽しむ為のレッスンに力を入れている。特にオフシーズンでは、グレステンスポーツ・グランジャーを使い、雪上ではできない細かいチェックを徹底した「欠点矯正(強制)特別レッスン」は好評である。
選手時代から「ごっちゃん」と親しまれ、未だに自称ロマンチックスキーヤーの後藤伸昭である。 |